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いっぽ一歩でいいじゃないか

ありのままの自分で生きていこうと思い、日々をつづっています。

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ボランティアin南相馬

南相馬市に行ってきました。
仙台観光の翌日、宿泊先の角田から南相馬市まで、
現地スタッフの方に車で送っていただきました。

南相馬市にもホテルはあるそうですが、
現地の作業員の方々で満室、
とくに平日はとるのがかなり難しいとのことでした。
角田のホテルは約2年前くらいから利用させてもらっていて、
そういうコネクションもあり、毎回とることができているというお話でした。

車中での会話はとくに印象的でした。

福島第一原発の放射能の影響で一時帰宅しか許されない地域の住民から聞いたお話を
現地スタッフの方が話してくれました。
「一時帰宅しても家はネズミに荒らされ放題、いつ帰れるともわからずただただ悲しい…」というお話。
私にはネズミ害など想像もつかず、そこまで思い至りませんでした。
「配電盤がネズミでショートという話も信じがたい。それならば毎日ショートしているはず。」
という現地感覚があることも知りました。
関東に住む人間はニュースで聞く話にとりあえず納得してしまうところがあると感じました。

また、ようやく開通した道路を現地スタッフの方が車で走っていると、
持っていた線量計が鳴り出したという話も聞きました。
やっと近道を走れるようになっても、まだまだ放射線量が高い場所があったようです。
今は線量計は携帯していないということでしたが、
側溝や沢の水が合流するところでは線量が高いところもあるのかなと想像しました。

私のイメージでは、放射能の影響が心配される地域では、
放射線量の表示版があちこちに立っているのかなと思っていましたが、
私が行った限り南相馬市では、そういう表示板を見かけることはありませんでした。

福島県は、宮城県、岩手県とはまた違った事情があるようです。
なかなかうまく表現できませんが、福島県では放射能の影響が心配され、
放射能は目に見えないし、将来への影響も今のところよくわかっていないので、
放射能への慣れが生じたり、極度に不安になったり、あきらめ状態になったりもするそうです。
また、一時帰宅は許されているが、そこへ住むか住まないかは自分の思いだけでは決められないところがあり、
帰れないかもしれないと絶望したり、帰れるかもしれないと期待を持ったり、
葛藤が生じ、情報にふりまわされてしまうところがあるようです。
なにかその話を聞いているだけでわたしは疲れてしまいそうでした。

わたしも南相馬市へ来る前は放射能が心配でネットや書籍で調べました。
最終的には、安全か危険であるかを決めるのは私自身であるという結論に達し、
人によって安全か危険かの基準は違うのではないだろうかと思いました。
(国や地方自治体が基準を示してほしいという気持ちももちろんあります)
短期的に行くぶんには人体への影響は少ないであろうと思い、ボランティアに応募しました。
福島県へボランティアに行くのになかなか踏み切れなかったのは事実です。
震災直後は宮城県、岩手県へのボランティア募集が多かった、
福島県は原発の動向がよくわからないので様子をみよう、
福島県は比較的近いのでいつでも行けるではないか、
そういう気持ちがボランティアへ行くことを遅らせたのだと思います。


今回のボランティアの内容は、料理セミナーの開催のお手伝いでした。
仮設住宅にお邪魔し集会室でやるものと思っていたのですが、
今回対象の方々は「みなし仮設」といって借り上げ住宅に住んでいる方だったため、
市の施設を借りて開催するということでした。

まず物品の搬入を行い、野菜の開封、洗浄。
これだけでも意外と時間がかかりました。
あとは現地スタッフの方が材料の計量、下ごしらえを行いました。
当日まで参加人数が確定できないということでしたが、
結局参加したのは定員一杯で50人を超える参加者でした。
過去最大の参加者数ということで、もう材料が足りるか心配で、
外側のキャベツの葉をなるべく捨てないように…とかやっていたのですが、
最終的には、足りない!ということもなく無事開催できて良かったです。


今回のセミナーは現地の社会福祉協議会が主催でした。
社協の今年度の活動説明、スタッフ(相談員)、保健師、看護師、民生委員の紹介があり、
そしていよいよ料理教室がはじまりました。

初対面の50人を前に短くあいさつ&自己紹介というのも緊張するものです。
あとで写真をみたら自分の顔がちょっと怖かったです(^^ゞ

管理栄養士より、主食、主菜、副菜の説明、減塩の説明などがあり、
それから4班にわかれてクッキング開始。

当日作ったのは、スープ、春巻き、サラダ、ゼリーの4品でした。
お年寄りの参加者も多かったので、料理には参加せず
スタッフとお話して料理が出来るのを待っているという人もいました。
やはり女性の参加者が多かったのですが、男性も何名か参加してくれて嬉しかったです。

わたしも準備に追われて事前にレシピをじっくり見ることも出来ず、
いちおう栄養士さんの指示もマイクで聞こえてきたのですが、
スタッフなのに、次なんだっけ?とレシピを何度もみてしまいました(^^ゞ

春巻きを1人1個は巻きましょうということで、
わたしは急いで春巻きをはがしておりました(^^ゞ
高齢のおじいさんも、社協スタッフさんの声かけのおかげで、
見事ご自分の力で1個巻き上げていました。

もっと現地の人と話したかったという思いもありましたが、
みんな料理に夢中で、震災の話なんて訊ける雰囲気ではありませんでした。
でも、みんなで料理をつくって一緒に食べて、ということができたのは、
私にとって何事にも変えられない、かけがえのない体験だったと思います。

大人数だったため、料理完成にも時間がかかると思われましたが、
幸い失敗することもなく時間内に完成しました。
社協スタッフの手助け無しにはできなかったと思います。
地域の絆を肌で感じました。

食事のときは現地のスタッフさんと隣に座り、
社協のみなさんとともに美味しくいただきました。
もう少しゆっくり話したかったと思いましたが、
わたしは人より食べるのも遅く、帰りの時間も気になり、
わりと食べることと聞くことに集中してしまいました。
大人数でごはんが足りないため、参加者はおにぎり持参だったらしく、
おにぎり大好き人間としては、ちょっとうらやましかったです。

食事が終わると片づけの時間。
施設を借りている時間の関係で時間内に撤収しなければなりません。
片付けも社協スタッフさんが何人か手伝ってくれました。
なんていい人たちなんでしょう。。
今思えばこのとき、社協スタッフさんから震災の話、
現地の話をもっと訊いておけばよかったと思います。
しかし帰りの時間も近づき、片付けもたくさんあるように見え、
落ち着いて話せる時間と余裕はあまりありませんでした。
いま、どんな支援が求められているか、
みなし仮設でのくらし、放射能への対応、などいろいろ聞きたかったです。

帰りのバスの時刻が来てしまい、片付けも途中で、
あとは現地スタッフの方々にまかせて、
2時発の福島駅行きのバスに飛び乗りました。

福島駅で「ちょこままどおる」をおみやげとして買い、
新幹線「つばさ」で大宮駅まで帰りました。

ボランティア時間は本当にあっというまでしたが、
とても貴重な体験をさせていただけました。
自分にとっても、生きる基本である「食」を考えるきっかけになりました。
福島にボランティアに行きたいという気持ちは前からあったので、
春のとてもいい時期にいけたのは本当にラッキーでした。
この経験を次のボランティアへとつなげていきたいです。


東日本大震災を忘れず、震災の経験を自分達の生活に生かせるように、
3.11 東日本大震災の真実 ~未曾有の災害に立ち向かった自衛官「戦い」の現場~ [DVD]
証言記録 東日本大震災 第一回 岩手県陸前高田市 ~消防団員の見た巨大津波~ [DVD]
ツタヤで借りてみました。
自衛隊の記録はとにかくリアルでこんな活動もやってたんだと思い、
NHKのものは地域ごとにまとまっていてわかりやすく、
放映されてる「あの日わたしは」とはまた違った内容でした。
全巻借りてみようと思います。


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テーマ:東日本大震災支援活動 - ジャンル:福祉・ボランティア

  1. 2013/04/30(火) 15:00:03|
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